初詣&うどんツアーの前に、高松市内に住む友人Mちゃん宅を訪ねて行きました。 10年ぶりの再開でした。 Mちゃんは中学時代におそらく一番仲の良かった友だち。 そして、名前も同じ…。だから”もう一人のM”です。
今日は長くなりそうです。 お疲れの方は読まずにお休みください。(笑)
中学生と言うとまだ人生の荒波も知らず、将来の夢も不確かなもので、それでも生意気にトンガリながら輝いてた時期です。 今にしてみれば冷汗が出るような思い出があってね。 オタクというほどではないけどアニメ好きだった私とMちゃんとあと数人とで、今で言うラジオドラマみたいなものを作ってたんですわ。 私が脚本を書いて、ラジカセの前で(笑)みんなでセリフを録音して、BGMと効果音を被せて編集するという…ま、今やってることとそんなに変わんないですね。 ははは…。
別々の高校に進み、荒れた時期もそれぞれ違ったんで、疎遠になったりもしました。 私が地元に帰ってからは(いわゆるワンレン・ボディコンの時代ですわ…)髪を伸ばして、ぴっちぴちのスカートはいて、夜の街をフラフラしたこともありました。 Mちゃんは昔から、背が高くて大人っぽくてかわいくて、常に男の子が周りにいるような…そんな華やかな女性。 ちなみに、『(自称)宇宙一のオンナやけんね~』 が彼女の口癖でした。
それから二人とも世間に揉まれ、泣き、それなりの経験も積んで、頻繁に会うわけではないけど、どこかで繋がってるような存在になっていました。 ある時期、心も体もどん底で誰もが遠巻きにしてた私を、見捨てずに支えてくれたのも彼女でした。
結婚後、ご主人の転勤でMちゃんが今治を去ってからも、年賀状のやりとりはしてました。 でも何年かして、彼女からの年賀状がぱったりと来なくなりました。 会うことはもちろん、改めてメールや電話をすることもありませんでした。 それでも私は年に一度の新年の便りはしつこく送り続けていました。
そしたら、去年Mちゃんから突然、公演の差し入れと手紙が届いたんですよ。 手紙に書いてあったのは、ブログを見てくれてること、劇団を応援してくれてること、それから彼女の二男のK君はダウン症で、心臓の手術のため何年も入院してたということ…。 ずっと付き添いの必要があったんで、Mちゃんもほとんど病院暮らしだったそうです。
泣きながら何度も手紙を読み返しました。 それから、高松まで会いに行こうと決めました。 会ってどうしようということでもなく、励まそうとか、力になろうとか、そういうのじゃなく、とにかく 『会いたい。』 それだけでした。
家族に頼んで恒例の香川初詣に組み込んでもらって、2時間ほど2人で話せる時間が取れました。

K君は今はとても元気で、人懐こくて、つい最近までそんな危険な状態にあったとは思えない、生命力に満ち溢れた存在でした。
中二になるお兄ちゃんのH君がK君を見てくれている間、2人で行ったのが例のコメダ…。(笑)
もう、時間が過ぎるのがこんなに速いと感じたのは久しぶりでした。 超ダイジェストで、お互いの近況を話して、それだけでタイムリミットが来た感じ。 あとはK君と同じダウン症の、Kプロジュニア卒業生の康佑(こうすけ)のこと。 彼がどんなにいい子か、劇団でどんなにがんばったか、元気だったか、愛されたか、…気がついたら私はそれを一生懸命語っていました。
会えてよかった。 彼女が本当に幸せそうで良かった。 彼女と話すうちに思い出したんですよ。 障害があろうが無かろうが全く変わることのない、子どもという存在の絶対的な大きさを、子どもを育てるということの幸せを、責任を、そして『子どもが私たちを育て、大人にしてくれている』という事実を。
Mちゃんは昔と変わらず、若くてきれいで、明るかった。 そして愛情深いMちゃんは、ご主人や3人の息子たち(下にもう一人!)に本当に愛されてるんやね。 彼女の愛情深さは、10年前と比べものにならないくらい彼女自身を輝かせていました。 なんというか、「自称・宇宙一のオンナ」がいつの間にか「宇宙一の母=ウルトラの母」に進化してた感じ…。

↑バリィさんが大好きなK君のために、グッズを買いあさってきたけんね~♪
後日届いたメールに 『○○は(←キャデ)本当に強くなったね。』 と書いてました。 確かに、修羅場をくぐってきた。 生きるか死ぬかの思いもしてきた。 多少はしぶとくなったのかもしれん。
でもね、Mちゃん。 私は相変わらずダメな奴です。 劇団やってるとき以外はぐうたらやし、短気やし、愚痴が多いし、「ええかっこしい」やし、ただの子どもっぽいダメ女です。 あなたを見習うことは到底ムリやけど、それでも次に会う時まで、ぼんやりとでもトンガリながら輝いていようと思います。
『”みかちゃんねる”を見て元気が出る。』 と言ってくれてありがとう。

【2013年1月3日】
●総合芸能祭参加作品 『火神楽~KAGURA~』 稽古日誌アップしました⇒
今日は長くなりそうです。 お疲れの方は読まずにお休みください。(笑)
中学生と言うとまだ人生の荒波も知らず、将来の夢も不確かなもので、それでも生意気にトンガリながら輝いてた時期です。 今にしてみれば冷汗が出るような思い出があってね。 オタクというほどではないけどアニメ好きだった私とMちゃんとあと数人とで、今で言うラジオドラマみたいなものを作ってたんですわ。 私が脚本を書いて、ラジカセの前で(笑)みんなでセリフを録音して、BGMと効果音を被せて編集するという…ま、今やってることとそんなに変わんないですね。 ははは…。
別々の高校に進み、荒れた時期もそれぞれ違ったんで、疎遠になったりもしました。 私が地元に帰ってからは(いわゆるワンレン・ボディコンの時代ですわ…)髪を伸ばして、ぴっちぴちのスカートはいて、夜の街をフラフラしたこともありました。 Mちゃんは昔から、背が高くて大人っぽくてかわいくて、常に男の子が周りにいるような…そんな華やかな女性。 ちなみに、『(自称)宇宙一のオンナやけんね~』 が彼女の口癖でした。
それから二人とも世間に揉まれ、泣き、それなりの経験も積んで、頻繁に会うわけではないけど、どこかで繋がってるような存在になっていました。 ある時期、心も体もどん底で誰もが遠巻きにしてた私を、見捨てずに支えてくれたのも彼女でした。
結婚後、ご主人の転勤でMちゃんが今治を去ってからも、年賀状のやりとりはしてました。 でも何年かして、彼女からの年賀状がぱったりと来なくなりました。 会うことはもちろん、改めてメールや電話をすることもありませんでした。 それでも私は年に一度の新年の便りはしつこく送り続けていました。
そしたら、去年Mちゃんから突然、公演の差し入れと手紙が届いたんですよ。 手紙に書いてあったのは、ブログを見てくれてること、劇団を応援してくれてること、それから彼女の二男のK君はダウン症で、心臓の手術のため何年も入院してたということ…。 ずっと付き添いの必要があったんで、Mちゃんもほとんど病院暮らしだったそうです。
泣きながら何度も手紙を読み返しました。 それから、高松まで会いに行こうと決めました。 会ってどうしようということでもなく、励まそうとか、力になろうとか、そういうのじゃなく、とにかく 『会いたい。』 それだけでした。
家族に頼んで恒例の香川初詣に組み込んでもらって、2時間ほど2人で話せる時間が取れました。

K君は今はとても元気で、人懐こくて、つい最近までそんな危険な状態にあったとは思えない、生命力に満ち溢れた存在でした。
中二になるお兄ちゃんのH君がK君を見てくれている間、2人で行ったのが例のコメダ…。(笑)
もう、時間が過ぎるのがこんなに速いと感じたのは久しぶりでした。 超ダイジェストで、お互いの近況を話して、それだけでタイムリミットが来た感じ。 あとはK君と同じダウン症の、Kプロジュニア卒業生の康佑(こうすけ)のこと。 彼がどんなにいい子か、劇団でどんなにがんばったか、元気だったか、愛されたか、…気がついたら私はそれを一生懸命語っていました。
会えてよかった。 彼女が本当に幸せそうで良かった。 彼女と話すうちに思い出したんですよ。 障害があろうが無かろうが全く変わることのない、子どもという存在の絶対的な大きさを、子どもを育てるということの幸せを、責任を、そして『子どもが私たちを育て、大人にしてくれている』という事実を。
Mちゃんは昔と変わらず、若くてきれいで、明るかった。 そして愛情深いMちゃんは、ご主人や3人の息子たち(下にもう一人!)に本当に愛されてるんやね。 彼女の愛情深さは、10年前と比べものにならないくらい彼女自身を輝かせていました。 なんというか、「自称・宇宙一のオンナ」がいつの間にか「宇宙一の母=ウルトラの母」に進化してた感じ…。

↑バリィさんが大好きなK君のために、グッズを買いあさってきたけんね~♪
後日届いたメールに 『○○は(←キャデ)本当に強くなったね。』 と書いてました。 確かに、修羅場をくぐってきた。 生きるか死ぬかの思いもしてきた。 多少はしぶとくなったのかもしれん。
でもね、Mちゃん。 私は相変わらずダメな奴です。 劇団やってるとき以外はぐうたらやし、短気やし、愚痴が多いし、「ええかっこしい」やし、ただの子どもっぽいダメ女です。 あなたを見習うことは到底ムリやけど、それでも次に会う時まで、ぼんやりとでもトンガリながら輝いていようと思います。
『”みかちゃんねる”を見て元気が出る。』 と言ってくれてありがとう。

【2013年1月3日】
●総合芸能祭参加作品 『火神楽~KAGURA~』 稽古日誌アップしました⇒